――Kazha_archive/private_memorial_draft.txt
4. 象られた“再会”
2000年の夏、私は再び出会った――。
初めて彼女に会ったときと同じように、言葉を失った。
けれど、それは幻想だった。
そこにいたのは一葉ではない。
だが、その「顔」は、確かに彼女のものだった。
順子だった。
日本清浄会時代の1996年組の仲間であり、自分と共に一葉に誘われ真摯に活動を支えた女性。
彼女は一葉を深く敬愛していた。
そして、私の気持ちを知っていたはずだ。
いや、気づかないふりをしていたのだろう。
順子が私の前に現れたとき、私は息を呑んだ。
一葉の輪郭、目の線、口元、肌の質感までもが――そこにあった。
彼女は言った。
「私は“選ばれた”。この顔は、御仏の啓示。
私は、この“御姿”で、導く存在になったの。」
私は理解できなかった。
どうして、そんなことを――
どうして、私の記憶を、私だけの“神影”を、模倣という行為で穢すのか。
けれどそのときの私は、彼女を否定することができなかった。
私の中には、理性と感情の裂け目が生まれていた。
「これは偽物だ」と言い切るには、あまりにもその姿が“彼女”に似すぎていたのだ。
順子によれば、彼女は父の死により実家の宗教団体――
ネハン会の二代目教祖となっていた。
その地位に就いた後、彼女は啓示を受けたと称し、整形を受けたという。
順子の語る「涅槃天母」の概念は、明らかに一葉を神格化したものであった。
そしてその“御姿”に自らを変えることで、教義に新たな意味を与えようとした。
正気ではない。
だが、それを狂気と切り捨てるには、あまりにもその“顔”が私の心をえぐった。
一葉を失って以来、私は虚無の中を漂っていた。
空虚な議員秘書の仕事、親から押し付けられた選挙地盤、形ばかりの言葉。
すべてが意味を失っていた。
私は、順子と内縁の関係となった。
それがどんなに偽りであっても、私はそこに“彼女”を求めた。
一葉という“原像”の幻影に触れられるなら、私はどこまでも堕ちてもよかった。
私たちの間に、双子の娘が生まれたという話を聞いた。
“子どもに会うのは一人ずつ”など、様々な教義上の制約があると言われたが、私には興味のない話だった。
今考えると、それらの姿を見るのが怖かったのかもしれない。
自身の偽りを突きつけられているようで。
けれど、時間が経つにつれ、私は順子の顔の“歪み”に気づきはじめた。
老いは、容赦なく訪れる。
一葉が生きていれば、今も同じように年を取っていただろう。
だが私が見たいのは、“老いた一葉”ではない。
私の中にあるのは、“永遠に記憶された”彼女だけだった。
その乖離が、日々の中で裂け目を広げていった。
産後、私は順子から距離を置くようになり、政治家としての仕事に逃げるようになった。
順子の“顔”が崩れていくたび、私は彼女を直視できなくなった。
そして、自分自身の罪深さに耐えられなくなっていった。
私は、心の中で知っていた。
このままではいけないと。
この偽りの“神”との共存は、いつか私を殺す。
そしてある日、私はそれを終わらせることを選んだ。
それは偶然の事故として処理された。
誰もが不慮の死だと信じた。
だが私は知っている――私が手を下したのだ。
私は“神の顔”が老いるという現実を、認めることができなかった。
私が見たかったのは、永遠である一葉。
それだけだった。
そして、私はある事実を知ることになる。
順子は、娘たちにも“神の顔”を与えていたのだ。
真奈と佳奈――ふたりの娘は、16歳の誕生日に、一葉の顔を継ぐよう整形されたという。
それは順子の遺志であり、教義としての“御姿の継承”だった。
私はその事実を聞いたとき、言いようのない嫌悪と恐怖を覚えた。
虚像が、次の世代にまで引き継がれていたという現実。
“永遠である彼女”が、コピーされ、再生産されていたという冒涜。
だが、それが新たな悲劇の始まりであることを、私はまだ知らなかった。
